ナラタージュ(映画◆行定勲監督、有村架純、松本潤)

ナラタージュ(narratage)……映画などで、ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法(小学館デジタル大辞泉)

島本理生さんの恋愛小説の映画化。
原作小説は、私の生涯ベスト5に入っている。手元の角川文庫版は平成20年初版。ベスト5の中では最も新しい作品である(他の4作は北村薫「秋の花」、山田風太郎「忍法八犬伝」、天童真「大誘拐」、田中芳樹「銀河英雄伝説」である。なお、時々変わる)。

それだけに思い入れは強いものがあった。
そして多分だめだろうな……と思っていた。
きっと色々変えられちゃっているんだろう、と勝手に思っていた。

しかし、それは良い意味で裏切られた。
原作再現度98パーセントの映画化であった。
当然、これは映画としてきちんと成立していることを踏まえた評価である(原作再現度100パーセントであっても、映画として成立していなければそれは失敗作である)

私の観たい「ナラタージュの映画化」となっていたのだ。
足りない2パーセント分は、エピソードが削られているとかいうことではなく、ラストが違うんである。しつこいようだが、この「違う」とは、原作の文章と違うということではなく、小説のラストと映画のラストは決定的違いがあるからで、そして、私はやはり原作のラストを良しとするからである。


■以下ネタバレを含むのでご注意ください■


映画のラストは主人公工藤泉(有村架純)の笑顔で終わる。
その前振りとして、葉山先生(松本潤)から贈られた懐中時計の蓋の裏に書かれた文章の意味を同僚が説明するのと動き始める懐中時計の描写がある。
これは泉が過去(葉山との恋愛感情)から解放され、前へと進めることを暗示しているのであろう。
一方、小説では、懐中時計の蓋の文字はなく、懐中時計が動く動かないに意味を置いてはいない。本当のラストはその後の半ページ、別のシーンで、泉の涙で終わる。
これは泉が別の男と結婚することになっても過去(葉山との恋愛感情)から解放されることがなく、例え人生を前へ進めても、心は過去に囚われ続ける、それはつらいが同時にそれだけの恋に出会えたことの素晴らしさを表現していると私は思う。
映画の作劇上、懐中時計の話で終えた方がまとまりがよいのでそれはいいのだけれど、ただ、最後の10秒間を泉が涙を止められないカットで終えた方が、私の原作のイメージに近かったと思う。

それ以外は重箱の隅をつつくようなものなので、気づいた点だけ挙げる。
・黒川と志緒ちゃんが薄い役になっており、ほぼ小野君を紹介するために出てきただけのよう。原作では泉の友人として結構比重が大きいので、ちょっと残念だが、これは作劇上理解出来るのでやむを得ない。
・原作から完全にカットされたのは泉のドイツ行だが、これは自分が脚本家でもカットするのでOK。それ以外は、原作の要素がほぼ全て盛り込まれているのは、原作を良く読み込んだ上で脚本化したのだなと思う。柚子ちゃんのエピソードもきちんと入れている(映画の前半の数シーンの柚子ちゃんの演技でしっかり伏線を張っている)。
・泉と葉山先生の男女の関係も、イメージ描写に逃げず、しっかり描写している。有村架純と松本潤ということで事務所NGになるかと予想したが、入れてきたのは行定監督よく分かっている。プラトニックラブで終わっては泉の苦しさが出てこない。
・雨のシーンがとても印象的だった。ラストが朝日の中となるのは、前述の泉の解放を表す一つだと思うが、それとの対比のために雨を多くしたのであろうが、雨や水が映画を印象深いものにしている。

繰り返しになるが、ほぼ私の観たい「ナラタージュ」となっていたのは良かった。
ただ、やっぱりラストは涙の泉で終わってほしかった。


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